2025.12.26
6歳の気づきと60歳のまなざし
「人は死ぬんだ。」そのことに気づいたのは、ある夜、布団の中で一人寝る前でした。「自分がいつかは死ぬ」という事実に直面し、恐怖を感じました。そして、「お父さんとお母さんは、僕よりも早く死ぬんだ」と気づいた時、涙が溢れました。それは、私が6歳の時のことです。なぜ「6歳の時」と今でもはっきり覚えているのか。それは、その時こんなふうに考えたからです。「僕は今6歳。これをあと9回繰り返したら60歳。60歳のおじいちゃんになって、もう死ぬくらいの年齢になっている。6年をあと9回しか繰り返せないなんて、60歳はすぐに来るじゃないか!」
そして、2024年。私は無事60歳を迎えました。死を恐れて泣いた繊細な少年の面影はなく、中年期を終えようとしている初老の男性となり、おかげさまで元気に過ごしています。普段はあまり「死」について考えることはありませんが、近頃は同級生が亡くなったり、別の友達が大きな病気にかかったりしたこともあり、時々「死」について意識する場面があります。
カトリックの死生観では、死は人生の終わりではなく、新たな命への門とされています。人が亡くなると、肉体は滅びますが、魂は神のもとに召され、永遠の命を得ると信じられています。このように、死は神との再会であり祝福された新しい旅立ちとして受け入れられます。
地獄に行くのか天国に行くのかはわかりませんが、この世での人生は一回きりです。どんな人も、お金持ちも貧乏な人も、「肉体が滅ぶ」という同じ結末を迎えることは確かなようです。だからこそ、「どんなふうに生きても結末は同じ」と虚しい気持ちになるのではなく、「せっかく生んで産んでもらった一回きりの命だから、最後まで精一杯楽しんで生きよう」という心境で毎日を過ごしています。
中学生・高校生という繊細で多感な時期を過ごしている皆さんの中には、生きづらさを感じたり、辛い思いをしている人もいるかもしれません。「人生は空しい」「生きることに意味はない」などネガティブな感情に心が支配されている人もいるでしょう。しかし、この世の中そんなに悲観することはありません。この時代、それほど悪い時代でもありません。世界を見渡せば戦争や貧困・差別など悲しいことも多いですが、それでも歴史的な長いスパンで見れば今の世の中は昔と比べて平和で安全です。日本ほど安全で良い国はないと思います。せっかくそんな時と場所に生まれてきたのですから、自分のやりたいことを見つけて、それに思いっきり熱中し楽しい人生を過ごすべきです。そして、できれば、困っている人にさりげなく手を差し伸べることができる「明星紳士」になってくれれば、これ以上何も望むものはありません。
今何かに夢中になっている人や毎日が楽しい人は、時には失敗して落ち込んだり、親や先生に叱られることもあるでしょうが、それで基本OKです。これからも熱中して楽しんでください。そして生活の中で自分自身で決められる範囲を広げる努力をしてください。それによってもっと楽しい毎日になると思います。
高校生、中学生のみなさん、生きるということは君たちが思っている以上に素晴らしいものです。60年生きてきて、そう断言できます。だから、自分自身を大切にし、他の人も大切にして日々過ごしてください。
