
11月1日は明星学園の創立記念日です。今年で111年目を歩んでいます。1898年9月29日、夜間外国語学校の第一回授業が開始されました。たった13名の生徒と3名の先生です。3名の先生は、言うまでもなくウォルフ先生、レーベル先生、ランバック先生です。校長にはウォルフ先生が就任し、全く日本語の解らない外国の先生方が授業を始めたのです。1891年に来日され、長崎・海星にいたランバック先生は明星の創立のため、大阪にやってきました。少しは日本語が理解できたと推察しますが、どんなものだったのでしょう?
外国語(英・仏・独語)を教えたと記録にはあります。また英語科5名、仏語科6名、独語科2名の内訳でした。10数年前、私は当時のカリキュラムや時間割を探しましたが見つかりませんでした。ただ東京・暁星が使っていた教科書を利用していた事がわかりました。その教科書はマリア会日本地区の本部資料室にあり、貴重な資料です。この大阪の地で、小さなともし火が、大きな灯となり、星のように天上に輝く「明けの星」となって発展していく様は、明星学校が真田山(現在地)に新校舎を建て、夜間学校から商業学校にかわった1904年4月からです。
ウォルフ先生を除いて、全員入れ替わりました。新しい会員たちと創立者のウォルフ先生は、校舎の3階に住み、24時間体制(?)で学校運営にあたったのです。『三階の先生』『黒服の先生』という呼び名は、草創期から戦後まで外国人のマリア会員がいた時に使われていたと、年配の同窓会の方々が口々に言います。そこにはノスタルジーに浸る面もありますが、同窓生にとって鮮烈な記憶として残り、親しみを込めた響きのする呼び名です。異文化に対し吸収力の旺盛な同窓生の微笑ましいひとこまといえるでしょう。それだけマリア会員の先生方を慕っていたのでしょう。
11月1日はカトリック教会の暦によれば、「諸聖人の祝日」です。第二バチカン公会議の改革によって、カトリック信徒はこの日にミサに与り仕事を休む必要はなくなりました。以前は年に数回守るべき祝日というのがあり、宗教的な行事と日本の暦とが一致せず、守りにくい祝日になっていました。伝統的に守るべき祝日を無理なく守れるように、11月1日諸聖人の祝日をカトリック学校は創立記念日にしたと聞いています。特に戦前に創立された古い学校にはどういう訳か11月1日がその記念日になっています。
もう一つカトリック教会の暦では、11月は年末にあたり、「終末」を意識しました。キリスト教は基本的に『直線史観』に基づいて典礼暦が繰り返されます。したがって11月は終末に関する祈念が多く、1日が全ての聖人たち(年間の特定記念日で祝われない)、そして2日が「死者の日」で全ての死者のために祈る日になっています。
以上のような伝統にそって、明星でも創立記念日に慰霊祭を行い、亡くなった学園関係者の慰霊ミサを捧げることになっています。今年亡くなった保護者や同窓生、そして学園で長く奉職された教職員のために、慰霊のミサを捧げるのです。今年も生徒諸君の保護者の方々が数名、お亡くなりになりました。また元教職員の方々も数名お亡くなりになりました。心よりご冥福をお祈りしたいと思います。
11月2日(月)は全校生徒、教職員、亡くなった遺族の方が一同に介し、マリアン・ホールの特設祭壇の前で、慰霊ミサを執り行います。この行事は明星の建学の精神を最もよく表す、目に見える形の宗教教育です。どうぞ参列される皆さんが、心を一つにして学園に関係した方々の霊をお慰めしてください。
また、同時に明星を創立された初代校長のウォルフ先生をはじめ、学園のために惜しみない後援をされた同窓会、及び元保護者の後援会の方々、今は亡き先輩の方々のことを思い起こし、感謝することも忘れてはなりません。
今日という日は、明星学園では最も重要な記念日にしなければなりません。なぜなら、今わたしたちがこうして平安のうちに過ごすことができるのは、先人たちの犠牲の上にあることを認識すべきです。今では、明星草創期の苦労を現代の私たちは知る由もありませんが、明星100年の歴史から学ぶとすれば、その節目において、多くの困難に遭遇しながらも、賢明な対応と努力によって、継承されてきたことがわかります。先人たちの熱き母校愛と自己犠牲の上に学園が発展してきました。
明星建学の精神は、一言で言えば「神様の愛を目に見える形で、この学園の中に示す」ことです。カトリック学校としての使命(ミッション)は、キリストの教え(価値観)を具体的に示し、共感を得ることです。その一つの例が生徒に対する指導のあり方に現れています。生徒たちは「神様から預かった人格を持った尊い存在です」から、一人ひとりかけがえのない大切な存在です。明星教育の本質は、その尊い人間がどのように成長するのか、またどんな人間になって欲しいのか、を念頭に置いたものです。
したがって、厳しい躾教育をすること、高度な知識を会得するために勉学に励むこと、心身の鍛錬に励むことは当然の事です。しかしそれだけではカトリック学校としては不十分です。さらに大事なことは、人間は神様から暖かく見守られ、愛されている、一人として神様の愛情を除かれた人はいない、ということをこの地上で確認しあうことです。そこには宗教教育が必要です。『気づき』の世界は、教えられるだけでは本物ではありません。自分で体験し、自分の生き方に影響するものなのです。大人(先生、保護者)はそのように生徒たちを導く必要があり、責任があります。
以上、長々と述べてきましたが、この創立記念日・慰霊祭を単なる行事のように扱うのではなく、有意義な日とするために学園に関わる全ての方々へのメッセージとしました。
