
一学期も間もなく修了し、夏期休暇に入ります。今年は新型インフルエンザの流行で、5月に一週間の臨時休校がありました。その関係で一学期の終業式が一週間延期され、休校に伴う授業時間の減った部分を補うことになりました。生徒諸君にとっては夏の予定が少々狂ったかもしれません。
さて、夏休みの間に色々なことを体験しながら、新たな出会いをして欲しいと思います。わたしは最近、日本の伝統的な「文化」や「表現」について、強く関心を抱くようになっています。きっかけは一昨年頃からだと思いますが、夏休みにドイツ・オーストリア・ベルギー・オランダを旅行した後、秋頃から日本の宗教、特に仏教文化に興味を持ち始めました。
ヨーロッパ旅行をして、キリスト教の文化(特に音楽や教会建築)に触れ、人々の生活の中にこれほど深く「信仰」が浸透していることに驚きを隠せませんでした。そのような刺激に左右されたのかどうかはわかりませんが、逆に日本の伝統文化に対する興味が、わたしの心の渇きとして沸き起こってきました。
手始めに「高野山」へ行って見ました。十分な時間は確保できず、日帰りで真言密教の総本山に足を踏み入れました。高野山といっても電車やケーブルを乗り継いでたどり着いたところは、観光地化されていて少しがっかりしました。
しかし、奥の方に進んでいくに従い、独特の雰囲気を感じました。『高野山の空気』というかある種の『風』を感じました。遣唐使として中国(唐)に渡った空海(弘法大師)は、和歌山県の高野山に真言密教の根本道場を開いたのです。海抜800メートルから900メートルの山奥に開かれたお寺です。
わたしが特に興味を持つ分野は、「道場」としての高野山です。同じことは、同時期に最澄によって開かれた「比叡山」も根本道場としての役割に興味があります。日本におけるその後の仏教発展の土台は、この二つの山にて始められたのです。日本への公的な仏教伝来は6世紀でしょうが、日本の国づくりのために、仏教がその役割を果たしていきます。飛鳥・奈良時代、そして平安時代・鎌倉時代、室町・江戸時代とそれぞれの国治めの土台になっている感じがしています。
国づくりに寄与した仏教と言う視点は、確かに一つの見方ですが、わたしが興味を持つのは「人の養成」という観点です。まだ深く学習したわけではありませんので、詳しいことは語れませんが、比叡山延暦寺における最澄の教えには、現代のわたしたちにも共鳴できることが多くあります。
例えば、最澄が若い修業僧たちを養成するに当たって、その教えと実践を次のことばで表現しています。『円機純熟』(えんきじゅんじゅく)、すなわち「他人の気持ちがわかり、他人の立場で物事を考え、他人のために働く事ができる」人間になるように教えています。この教えは、イエス・キリストが教えたものと同じです(参照:マタイ福音書7章12等)。
イエスの教えは、『隣人愛』に集約されますが、自分と同じように隣人を大切にすることなのです。それは神様から誰もが先に愛されている、という信頼から来ています。また愛の教えは実践することによって始めて意味を成します。他人(隣人)を思いやること、他の人を自分と同じように大切にすることは、わたし達が社会生活を営む上で、欠かすことのできない必要不可欠な事柄です。人が人として生きることは、支えあって生きることにほかなりません。
だからこそ、他の人に優しくすることは、自分が生きている社会、共同体全体を優しくすることに通じます。またわたしのためにも周りの方々が優しくしてくれるのです。今の世の中は、あまりにも「自分が、自分が」という風潮がはびこっている様に思います。そういう社会はやがて殺伐としたものに変わり、社会は崩壊していきます。なぜなら、人間本来のあり方に反するからです。より良い社会の建設のため、わたしたちにできることは、小さな事柄の積み重ねです。社会を構成している一人ひとりが、『円機純熟』を目指して生きるならば、きっと未来は明るいと思います。明星に学ぶ者は、このような生き方を身につけることに精進して欲しいと思います。
